02和服・着物の歴史の最近のブログ記事
江戸時代の和服・着物の歴史
江戸幕府は約300年もの長い間続いた時代で、鎖国の厳しい封建社会でありましたが、一方で、庶民階級が特に経済面で勢力を発揮し、町人文化が栄えた華やかな時代でもあります。元禄期には、元禄文様と呼ばれる明るい色調で金糸が多く用いられた華やかな小袖の着物などがつくられました。この頃には現在の着物とほとんど変らない形の小袖の着物となり、小袖が完成した時代で、なおかつ着物の全盛期ともいえます。また、江戸時代後期には、帯締め、帯揚げをを用いて、着物の帯のお太鼓結びをするようになりました。
明治時代の和服・着物の歴史
明治時代は大きく時代が動いた時期で、鎖国から開国によって他国の文化が伝わり生活様式、服装様式が急に欧米化しました。宮中の礼服は洋服となり、それによって上流社会の欧米化が進み和洋折衷の服装が次第に庶民にまで浸透し始めました。しかし、この頃の礼服は着物であり、男子は黒羽二重五つ紋付羽織袴で、女子は黒や色無地の縮緬五つ紋付裾模様下襲に丸帯が用いられていました。
鎌倉・室町時代の和服・着物の歴史
鎌倉・室町時代における衣服は、ほとんどの場合、武家の男性の服装は直垂を、女性は衣袴を着用していました。この時代は、武家階級の勢力が増し、政治の実権を握った時代だったこともあり、やがて戦闘に対応しやすい実用的な服装へと変化していきました。これまでの装束の表着を一枚ずつ簡素化し、袴や裳は省略され下着ではない、小袖のみの衣服に変っていき、この時代の末期には、現在の着物の原型ができあがったといわれています。このころから「身八つ口」のある着物になりました。
安土・桃山時代の和服・着物の歴史
桃山時代には、華やかな美術工芸品などで知られる文化が生まれました。この時代は繍箔、摺箔、絞りなど緻密な細工のものが多いのですが、同時に、染織技術も飛躍的に進歩したことが着物の小袖からも伺えます。この時代には、辻が花染という美しい染物が染められるようになりました。衣服は、男性は、まだまだ肩衣袴が主流であり、女性は打掛姿、腰巻姿が主流でした。また、庶民の間では、名護屋帯が流行しました。
名護屋帯とは、朝鮮から現在の佐賀県である肥後の名護屋に伝わった韓組の技術によって唐の糸で組んだ帯のことです。両端に総がついており、絹糸を丸組みした縄状の帯で、男女とも赤が好まれたようですが、白や黄色、青などを用いた多色使いのものもあり、江戸時代初期まで流行しました。
着物の歴史は平安時代から始まったと言われています。時代背景としては、この時代になると、遣唐使が廃止されたことから中国の影響をあまり受けなくなり、次第に日本独自の服装へと化していきました。
男性の服装は朝服から束帯へと変化し、女性は唐衣裳装束や女房装束といわれる晴装束を公家が着用し始めていました。束帯と唐衣裳装束の袖部分は袖口の下を縫わない大袖を用いていました。これは現在の産着や長襦袢などに通じる袖の形の一つで、現在では広袖と呼ばれています。
また、この時代の小袖は、礼服の大袖の下に着た下着である盤領筒袖の衣のことで、現在の着物の原型と言われています。平安時代中期以降には、下着として着用していたものが、平安時代末期には肌着として白小袖を用いるようになりました。また、公家・武家の階級では、装束の下着として小袖を用い、それを白小袖と呼び、その後、肌着として用いられるようになりました。一方、庶民の間では、主流であった袖のない衣や筒袖の衣から袂に丸みのある白小袖に変化していきました。